笑い話ではありません。 早稲田大学入試数列問題にチャレンジすると云い始めた町山さん、文系出身。 恥かくから止めとけと櫻井さん、同窓理系卒。面白いからやろうと無責任なオタク。

1.公式知らずに大学入試突破 嘘だろう?

問題がこれ。 ふん。 怖え〜。いえね、自分も最初はそう思ったんだ。難しそうだから、解けると思わなかった。 だが、云った手前、出題にある区切り通りの表を作ってじ〜っと眺めたのだ。何時間も。 その内、あることに気づいた。 群項の2乗が数項になる。数項4は1から始まる奇数の4番目だから7。7は2群の末項になる。3の2乗9の下の奇数列17が3群の末項。 群項の中にある数も1個、3個、5個という奇数列になる。それが、問題の「奇数列に区切りを入れて群を作り、群の項数も奇数列になる」という意味とわかりました。問題読んだときは、ぴんと来なかったのだけどね。 「問題の意味もわからずにやったわけ?それを無謀という。普通は。」 またすぐそういうことを云う。悪い癖だよ。やる気を挫く理系か? それで、パターンがわかったので、この表に書ききれなかった45の数項を調べた。 その前に、云っておくが、私だって奇数列が(2nー1)になるぐらいは知ってる。数項をnとすれば、1なら1。2なら3。3なら5。4なら7だから。まあ、このぐらいはわかる。誰でもわかることだろう。それで、奇数列45に対応する数項を見るために続きの表も作った。こうなる。 2nー1=45として、nを出す。n=23だから、数項23。次に、45が第5群の何番目になるか勘定すると、33から7番目になる。 第5群の初項が33で、末項は49のはず。数項25。 2nー1のnに25を代入すると、50ー1=49。合っているだろう。 45が7番目というのを勘定しないでもわからなければならない。第5群の初項が33だから、45ー33=12。奇数だからひとつ置きなので2で割れば・・・6だ。7番目なのに6じゃ拙いな。あっ、初項を引いたから、その分、1を足してやらなければならないのか。ちょっと確認。 第2群は、7ー3=4/2=2+1=3個。 第3群は、17ー9=8/2=4+1=5個。1を足すのは正しい。 つまり、与えられた奇数45から初項33を引いた数を2で割って+1。 45ー33=12/2+1=7。 整理するとこうなる。
「これと早稲田の問題がどう関係するのかな?」 ちょっと待って。算数不安解消する活動しているのだ、私たちは。 数学が「演繹だ、帰納だ」という難しい話しがある。あの表になかった45を推測するのが演繹。結果を確認して方法論が正しかったかどうかを見るのが帰納。あなた、理系なんだから、そんなことわかるだろう。じゃあ、勝手に選んだ奇数511数項群項、及び、群の何番目になるか一緒に調べようじゃないの。 数項は、奇数列一般式2nー1=511から、512を2で割ると256になる。256?・・・あれっ、2進数思い出した。 これか〜、オタクが“2進数覚えろ。セットで覚えろ。得意な数が増える”と云うのは・・・視覚で記憶に定着させろとも云っていたな。
256は2の8乗だから、(2の4乗)×(2の4乗)。2の4乗は16。16×16だから16の2乗が256になるのだ。ということは、群項16じゃないか。 2進数ナミアムダブツ唱えている気分になってきた。 511が群項16にあって、しかも、16群の末項になる。2nー1に入れてみる。2×256ー1=511で確認取れた。ナンマイダ、ナンマイダ。 15群の末項は15の2乗。15×15=225。それを2nー1で449にする。それが15群の末項だから、16群の初項は451になる。16群の末項は511だから、16群の個数は、(511ー451)/2+1=31個目。511は末項だから、16群の総個数が31。 ちょっと待てよ、このやり方で早稲田の問題(5)が解けるんじゃないか? (5)2013は第何群の第何項か、というやつ。 同じようにやってみるぞ。2013は数列にある奇数なので、元数項nは2nー1=2013から、n=2014/2=1007になる。つまり、こういうことだ。
群項Xを2乗したら数項の?になって、群の末項Xになる数を探せばいい。2乗したら1007に近い数を探す。そこで、再び2進数の登場。
32群にあるのが一発でわかった。それが、群の末項 1024。 数項1024は、2nー1に導入すると数列の2047になる。 31群の末項は、31の2乗だから、31×31=961。同じように、2nー1に導入すると1921。
簡単じゃないか。32群の初項は、1923。これが、2進数の威力だな。まとめるぞ。 初項が1923末項2047だから、群内の順番は、(2013ー初項1923)/2+1=46番目。 合っているかどうか答えを一緒に見よう。 合っているじゃないか。 ただ、問題集の解法と私が作った方程式は違う。しかし、答えは合っている。なぜかはわからない。問題集やるから、文系バカにしたお前、自分で違いを調べろ! あれっ、あいつ、どこ行った? 逃げたか・・・・・・
「なるほどね。公式知らなくても解けるのか・・・・・」 自分でもびっくりした。私が、知っている公式みたいなものと云えば、シリーズ2の6ページにある奇数の足し算ぐらいだからね。これ。
これをnの式で表せと、まあ、これはわかる。奇数の総和を求めるやつ。
「そこから、中央値の方程式はどうやって導いたの?」 いい質問。一番苦労したのが、そこだったな〜。 はじめは、奇数になる(2nー1)を2で割ればいいと思ったのだ。しかし、それは元数列の中央値であって、群の中央値じゃないと思ってから、わけがわからなくなって、あきらめようかと弱気になった。 取り掛かって二日目の昼頃だったか、この問題には群の項というもう一つの奇数列があるので、面積に変換して2で割れば一般式になるかもしれないと思った。勘だけどね。 そしたら、上手く行った。
できた時には、神様に手を合わせるみたいな気持ちになった。あきらめなくて良かったな〜と。あなたも読んだでしょう。479ページにある漆原とまりもの会話。
村山由佳さんに励まされたような気持だった。講談社の宣伝するわけじゃないけど、これはいい本だ。宣伝してやろうか。 https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000188013 それにね、インド式計算で数の分解やったから、31×31も暗算でできた。 「丸二日も掛かったら話にならない。受験にパスするわけがない」と云いたそうな顔つきだね。オタクは、受験生でもこの問題の正答率は50%ぐらいじゃないかと云っている。ボーラー指摘を思い出しなさい。
私がやったのは、「理解できる一連のアイディアの探求」になるだろう。それと、パターンを読み取る観察。 同時に、小学生から中学生までの教え方次第で大学受験の一部まではこなせるようになる可能性にも気づいた。それとね、ケンブリッジ大学の研究も思い出したらいい。 Teachers and parents need to be conscious of the fact that their own mathematics anxiety might influence student mathematics anxiety and that gendered stereotypes about mathematics suitability and ability might drive to some degree the gender gap in maths performance. 先生や両親は、自分の算数不安が子どもたちの算数不安に影響しているかもしれないことに気が付かなければなりません。さらに、女の子は算数に適していないという型に嵌った先入観が、ある程度男女生徒間の成績に影響している可能性も考慮する必要があります。 Hence, for parents and teachers, tackling their own anxieties and belief systems in mathematics might be the first step to helping their children or students. したがって、両親も先生も自分自身の不安を何とかしなければならないこと、そして、女の子に対する先入観を捨て去ること。子どもたちを助ける第一ステップになる。 Understanding Mathematics Anxiety (cam.ac.uk) 算数不安の大人が多いことは私たちの調査でもわかっている。算数不安は子どもたちだけの問題じゃない。大人の問題でもある。数学が苦手の81歳が、公式も使わずに早稲田の問題解けた。観察してパターンを知るのは、30代40代のお母さんたちの方が得意だろう? だから、お母さんたちに伝えて同じようにやれば、算数不安なんか消し飛ぶ。できるかどうかわからなかったけど、そのために、敢えて恥をさらした。私たちも勿論だが、自分自身の不安を何とかしなければならないだろう。この実例は、役に立つじゃないか。 おい、無責任のオタク。意見はないのか? 「いや〜、文句なしに面白かったです。2進数役に立って良かった。これは、励みになります。数の関係を理解する格好の例と思います。高3制覇ですね。じゃあ、町山さん、高1のこれもやってください。Yahoo!知恵袋に、高1の子から、公差4の等差数列の質問がありました。」 等差数列の問題で、300を超えるのは第何項かという問題があります。初項3、公差4なので、4nー1>300から、 n>4分の301=76項という答えになるのですが、301を4で割ると75.2…という数字が出てきます。四捨五入すれば、切り捨てなのに答えが76になるのはなぜですか? いきなり云われても公差数列の公式など覚えてない。 「私も忘れました。絵として記憶できる人以外の人は忘れて当たり前と思います。」
う〜ん、ということは、高1の子は、a(初項3)とd(公差4)を導入して、300=3+(4nー4)→300=4nー1。n=301/4 → n=75.25と計算したわけだな。 「そうです、親切な人が、「n=75は、n>75.2…という不等式を満たさないからです」と回答があった。「冬休みの課題だったのでとても助かりました。ありがとうございます」と感謝していました。2019年12月29日のことです。 初項3、公差4の数列は、3、7、11、15、19、23・・・だから、こういう数列だな。
質問した子は、公式で解こうとする前に、数列をじっくり眺めたことも基本の計算もしてないと思うな。公式を忘れても、大人になった私たちなら、じっくり眺めることはできる。忙しい人はやらないかもしれないが・・・ 学生時代、数学が苦手だった人も、じっくり眺めるだけならできる。眺めながら、南無阿弥陀仏唱えれば、救いがくる。現役の子は、余裕がないので気付かない。答えを出すのに夢中なので気付かない。公式に囚われているので気付かない。 「時間稼ぎしてますね。」 ばれたか。 7を4で割ると1.75。第2項。11を4で割ると2.75で第3項。15を割れば3.75で第4項。 な〜んだ、この数列は「4で割れば、余りが3になって小数点以下が0.75になる」という規則性を持っている。なら、簡単だ。 「300を超えるのは第何項か」という問題にある300は4で割り切れる。75で割り切れるから、数列にない数字。 301も数列にない数字。4で割ったら75.25。小数点以下は0.75じゃなければならない数列だから。 ということは、小数点以下が0.75になるのは303ということになる。その前は299。 7を4で割ると1.75。それが第2項。11を4で割ると2.75で第3項。15を割れば3.75で第4項だった。小数点前の数字に1足したら項になる。300を4で割ったら75.0だから、75.75になるのは第76項になるじゃないか。この問題も公式を知らなくてもわかる程度のことじゃないか。公式で計算して確認してみようか。 76項:3+(76ー1)×4=303 75項:3+(75ー1)×4=299 「町山さん、すごい。パターン認識ですね、大事なのは。」 そういうことなんだろう。生徒たちには余裕がないので、観察とパターン認識という大事なステップを飛び越して、習った公式で解こうとする。したがって、公式になるステップを知るチャンスも飛び越してしまうかもしれない。
昔、いくら数学が苦手だったとしても、大人の今なら、この程度のことは理解できる。自覚はなかったが、私だって算数不安症だったと思う。私の高1当時の実力では、この問題は解けなかっただろう。早稲田の問題とこれやったら、数字が面白くなったように思う。ケンブリッジ大学の「まず、親や先生の不安を解消しろ」と云っているが、答えはここにあるような気がする。大人なら気付くから。 ところで、オタク。どうして算数不安なのだ。国語不安だって、理科不安だってあるだろう。なぜ、算数なのだ?

2.絵人間と文章人間

「鋭い質問です。算数には絶対解があるからです。小中学の算数には、あいまいなものはありません。万人が認める正しい答えがあります。分数だろうが割合だろうが、四則計算に過ぎません。国語や理科には厳密には絶対解はない。絶対解がある算数だから、できなければコンプレックスになる。無意識にそうなる。だから、困る。算数不安だった大人は、算数の話題避けます。私たちの調査でわかったことです。ですから、この町山さんのチャレンジは画期的と云ってもいいです。さらに、このチャレンジから解決のヒントをいただきました。絵人間ですね、町山さんは。」 絵人間? 何だい、それは。絵で記憶する以外の人は・・・とも云っていたな。 「米国の研究者の報告があります。人には、視覚タイプと言語タイプがあるので長期記憶に定着する視覚教育にもっと知恵を絞った方がいいという。視覚タイプは、全体を捉えて本質を見通す能力があるのに対して、言語タイプは順序を踏んで(ステップ by ステップ)で物事を理解する能力に優れて、説明力があるといいます。後者は、論理を説明できるので、世の中のリーダーになるエリートに多いと云います。町山さんは、パターンで見ているので、視覚タイプかもしれないと思いました。」
真ん中の44%というのは? 「どっちにも偏っていないということでしょうね。」 一番良いと云うことかな? 「バランス的には良いようですが、若しかしたら中途半端ということかもしれません。」 君のことか? 「また、失礼な。云いたいのは、そうじゃなくて、数を覚えるのは視覚が先ということです。いい加減な話じゃないです。世界の脳科学者の研究成果の話です。 まだ56歳ですけど、有名なデハーネ博士の論文にもあります。1530年に設立されたコレージュ・ド・フランスの教授と云えば、その分野の最高峰と認められたということらしいですが、46歳でアメリカ哲学協会の会員に選ばれた博士です。30歳ちょっとの頃の論文「数の感知能力(The Number Sense)」が世界の脳科学者を魅了したのでしょう。日本語訳本はないですが、17ページの要約があります。英文ですが。そこに、生後6〜7ケ月の幼児が目で数の認識ができるという研究が紹介されています。 https://www.unicog.org/publications/Dehaene_PrecisNumberSense.pdf https://en.wikipedia.org/wiki/Stanislas_Dehaene じゃあ、指導要領を作成したり、出題考えるのは、視覚タイプでなく、エリートの言語タイプの優秀な人たちになるわけか。 「視覚タイプ、聴覚タイプ、それぞれに長所も欠点もあるので、それほど単純な話ではないですが、ご指摘の可能性は否定できません。学力テストの問題に感じたのがその点でした。 例えば、「三角形の2辺の和は他の1辺の長さより大きいことを証明しなさい」という問題が出ます。中には、犬でもわかることを何で証明しなくちゃならないという人もいます。大人ですけど。しかし、現実には、証明で悩む子が多いのは、“Yahoo!知恵袋”にも、“教えて!Goo”にも多数あります。 回答者の証明です。 回答者は、「二点間を結ぶ最短距離は直線であり、ただ1本ある。(公理)同じ直線上にない点を通って他方に到達する線分は、直線ではない。つまり、最短距離ではない。自明と言えば自明かもしれませんが、敢えて証明してみました。この証明方法は、質問者の直感に重点をおきました。」とあります。 視覚タイプの子は、一般的に説明力が劣るといいますから、ステップ by ステップの証明は難しいかもしれないという点を考えなければならないと思います。
そのような子なら、左のように円をイメージして、ぐるっと回転させて、オレンジと黒の辺が、青辺の長さより長いとわかるし、右側のように、長い青辺を二つに分けて、その両端を中心にして円を描けば、オレンジと黒が離れて三角形を作れなくなることがわかるので、視覚タイプ、或いは、直観タイプの子にとっては、これ以上の証明をする必要があるかと思うかもしれません。可動橋を思い出す子もいるでしょう。
生後間もない幼児が“数の感覚”、比較、物の大きさを識別するのは本能です。 人間が、敵の動物から逃げるとか、獲物を捕らえる距離感も本能です。迂回すれば獲物に追いつきません。待ち伏せは、1辺の長さが他の2辺を足したものより短いことを本能的に知っているのです。 視覚タイプの人は現実にいるわけですから、そういうタイプにも合うような算数教育も考慮する必要もあると思います。 素人判断は拙いですが、「母子対話」には、この認識が必要と思います。 アメリカというのは面白い国で、品質では碌な製品を作れないのに、職業訓練をどうすれば良いか、膨大な調査をして分析する国です。凄いといえば、凄い国です。そこに、興味深い分析があります。 電子回路図を見せて、その通り描けという試験をやると、熟練技術者と初心者に大きな差が出ます。当然ですね。しかし、それは、正しい回路図の場合であって、正しくない間違った回路図を見せると、熟練技術者と初心者の差がないそうです。彼らの分析は、熟練者は回路の間違いに気付いて、そこだけに集中するので、見せられた間違い回路図全体を再現できない。つまり、細部に集中する習性が、回路図を再現する描画能力に影響すると云っています。視覚とパターン認識のことです。 さらに、ショッキングな分析があります。 「設備装置が壊れた時、訓練技術者は装置や構成部品を機能面に関係する概略図(schematic)として表現でき、運転する時個々の構成部品に起こる事実関係を知り、観察上の現象の一つがどのような条件下で他のものにも見られるかを順番に見るというやり方を採る。このようなケースではその原因の探索は基本的に定性的なもので定量的ではない。伝統的に定量分析に力点を置いてきたやり方は根本原因探索の邪魔になるというのは明らかである。伝統的に定量的視点で教育された理化学系学学生が技術領域全般における根本原因究明について常に劣り、間違いを起こすことが証明されている。」 ショックじゃないですか? 理系の学生が、根本原因究明に常に劣るというやつ。証明能力を付けるのは、勿論大事です。別の三角形作って描画しているじゃないかとおっしゃらないでください。あの証明順序です。あれは、ステップ by ステップ定量的思考です。言い換えれば、理系思考そのものです。 “数学ができるやつは頭がいい。理系出たやつは頭がいい”という風潮は昔からあります。日本人全般にある風潮です。 「ちょっと待て。東大法学部は文系だよ」と町山さん。 誤解していますね。東大とか京大の文系出身者の高校時代の成績は、数学も含め科学も抜群にできます。そういう意味では理系頭と云ってもいいです。大事なことですので、この辺りのことを詳細に検討しましょう。 引用した米国の報告書は、絶え間なく進歩しつづける技術や産業や社会の変化に伴い職業訓練のあり方を抜本的に見直す目的で、膨大な時間と専門家達を集中して米国議会が作成したものです。1994年に刊行され、その後、これをベースとするいろいろな形の訓練プログラムが米国やヨーロッパで実施されていると云われています。 報告書は10章からなり、引用した部分は、5章:技術スキルの拡大(Broad Technical Skill)の認知スキル(COGNITIVE SKILLS)という項目にあります。99ページです。
https://ota.fas.org/reports/9437.pdf#:~:text=It%20is%20also%20important%20to%20note%20that%20testing,other%20policypurposes%20at%20the%20state%20and%20local%20levels. それで、先ほどの、「ステップ by ステップ言語タイプのエリートが出題を考えるのは否定できない」と思う例を挙げます。いくつもあります。理系思考という視点も頭に置かれると良いかと思います。 中央値を求める出題がありました。読書時間の調査結果をグラフにしたものです。
正答率は高くなかったと思います。私が不思議に思ったのは、この調査を何のためにしたのかということです。出題のどこにも目的がありません。読書時間が少ないから学力テストを通して生徒に警鐘を鳴らすためなのか、それとも、読書率を上げるために図書室に備える本の種類を考えるためなのか・・・ グラフを見ると、圧倒的に読書時間が少ないですから、中央値をとってもあまり意味がありません。 学術会議や文科省は、統計の取り方や読み方の能力向上に力を入れているのですが、この出題は、単に中央値を求めるだけです。統計には平均値もあるし中央値もある。それをまず覚えなさいというステップ by ステップみたいに思います。本当に調査が行われたとすれば、この調査は貴重なものです。グラフを見て、どうして、こんなに読書時間が少ないのか考える生徒もいると思います。その子にとって中央値などどうでもいいということになりませんか? そして、そういう発展的な考え方が、本来の統計の勉強です。 さらに、これこそ、ステップ by ステップが特徴という言語タイプか、理系思考者が考えたのかという出題があります。 冷蔵庫を買い替える家族が、10万円の製品にするか15万円のものにするか、一年間の電気料金を勘案して決定するという日常文脈(ストーリー)出題です。 安い冷蔵庫の電気代が年間11,000円。15万円の冷蔵庫は6,500円という想定で、連立一次方程式か、或いは、グラフを示して答えよという問題です。正答率が、各々17%でした。
Pの線は、設問にあるもので、使用中の冷蔵庫購入価格8万円に年間電気代を加えたコストグラフです。 購入価格bと年間電気代aに年数xを掛けた一次方程式を参考例に挙げた、まさに、ステップを踏んで教えるやり方です。親切ですが、非常に文章の長い設問です。大人の私でも読むのに疲れて嫌になりました。 青線と青字は15万円の冷蔵庫、赤字と赤線は10万円の冷蔵庫のグラフで、私が書き加えたものです。 交点以後、高い冷蔵庫のコストが安くなるわけです。 グラフ作成をしながら、方程式とかグラフを書くのは“かったるい”と思った生徒がいるだろうと思いました。 直観的に、購入価格差5万円を年間電気料金の差4,500円で割ってやれば、11.2年以後は15万円冷蔵庫の総合コストが安くなるとわかる子もいるでしょう。 大人なら、連立方程式もグラフも不必要でしょう。 日常生活の文脈の中で算数を教えるという文科省の方針に基づいて設問を作成する契約会 社の社員が苦労して、連立方程式を学ばせようとした設問と思いますが、疑問を持ちました。どういう生徒を育てたいのかという疑問です。 この冷蔵庫の問題には、方程式やグラフを書くより、直感や全体を俯瞰する子を育てる方が大事と思います。内閣府の人材育成の狙いは、創造性に富むイノベーション人材です。全体俯瞰が物をいうのです。イノベーションには。 苦労した契約企業社員の方には申し訳ありませんが、正直に申しますと、長いストーリーを読まされる子どもたちがかわいそうになりました。この程度の設問でいいじゃないかと思いました。
それと、町山さんが絵人間と思ったのは、「天翔ける」の読み方にもあります。大きな絵から本質を捉えるという点です。
アマゾンの読者評を読んでも、漆原に触れたものはありません。私の知る限り、町山さんだけです。まりも、貴ちゃん、志渡を育てたのが「夢を追いかける男」漆原という視点。 漆原は、イノベーターです。世界に通用する馬と人を育て、日本を変えようとする。 私との出会いも、結局、町山さんの「夢を追いかける」姿勢にあったと思います。大して人通りもないところに、「常温核融合」のポスター張っていたのを見たのがきっかけでした。地球の未来、子どもの未来を考えていると感心しましたが、それ以上に、「夢を追いかける人」に賭ける人なのかと思いました。

3.日本文化か、夢批判

世の中の進歩は、「夢を追いかける人」と「その努力に賭ける人」に拠っています。歴史が教える事実です。ちょっと横道になりますが、よろしいでしょうか?
1989年、ポンズ博士とフライシュマン博士が、エネルギー問題を解決する夢の技術「常温核融合」を発表して世界中が大騒ぎになりました。大きなエネルギーを使わないで、水素原子が融合する際に放出される膨大なエネルギーを利用する技術です。水がエネルギー源になるという画期的なものです。再現できなかったので、詐欺師と呼ばれてしまいました。 実は、この二人をフランスにかくまって研究を続けさせたのが、仕事上の知り合いでした。研究スポンサーは、日本の超大企業。二人の博士をフランスでケアした人とは友人ですが、その方も夢を大切にする包容力のある素晴らしい人です。後に、県会議員になりました。 詐欺と呼ばれていても、グーグルも再現しようとしていたのです。残念ながら、2019年時点でも再現ができませんでした。詐欺と呼ぶのは簡単です。 コペルニクスが地動説を唱えたのは、1543年ですが、当時、ほとんど誰も信じなかった。 ガリレオ・ガリレイが地動説を支持して迫害されたのは有名な話ですが、彼の亡くなったのが100年後の1642年です。地球が楕円を描いて太陽を回るというのが事実となったのは、さらに、四半世紀後です。万有引力を発見したアイザック・ニュートンと云われています。 しかし、地動説を最初に唱えたのは、ソクラテス以前の哲学者と云われるギリシャのフィロラオスらしい。紀元前5世紀前後です。今から2600年も前のことです。 「常温核融合」は、1989年ですから、僅か32年前です。 2001年に、三菱重工の岩村康弘博士(現在・東北大学特任教授)が、パラジウム、酸化カルシウムの多層基板上にセシウムをつけて重水素ガスを透過させセシウムからプラセオジムへの核変換が生じたと発表して、東北大学イノベーションセンターが設立され、今年、10月の日経ビジネスに「産業用ボイラーの共同開発契約を締結した」という記事が出ました。 https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/news/00001/02043/?ST=msb すると、32年前の話を知っている人が、詐欺呼ばわりする。Facebookの激しい批判投稿を読みました。超高学歴を持つ人で、国の支援を受けた企業の代表者です。
いいじゃないですか。できると信じて努力する。夢を叶えたい。叶えたいと努力する人を支援する。水素ガスにチャレンジするグループはいくつもあります。町山さんも夢を叶える支援者の一人なのが、出会いのきっかけになったのです。まあ、縁なのでしょう。」 みんなの、或いは、人の努力が目指すものは、どこかで繋がっているのだと思う。 算数不安症の話を聞いた時も、繋がりを感じた。しかし、この話は寄り道が過ぎる。算数不安と関係ないじゃないか。 「いえ、関係があります。2006年の第一次安倍政権の時、日本の頭脳延べ数千人が関与した「イノベーション25」という人材育成プロジェクトがありました。 2012年の教育改革も2018年の新しい社会5.0の人材育成も、この流れに沿ったものです。 見識と直観力が必要なイノベーション人材の育成です。

4.ウォークマン:ソニー盛田とドラッカー

二つの大事なポイントがあります。 イノベーションという言葉の解釈は多岐にわたりますが、「イノベーション25」の定義は、“新しい技術成果やアィデアを開発して、商品を市場に持ち込む過程”です。ビジネス社会の定義が、こうです。イノベイティブ(innovative)な技術やアイディアという言葉は普通に使いますが、イノベーションという定義を厳密に理解している人は極めて少ない。但し、イノベーションの専門家という言葉はありませんし、いません。この点が一つです。 二つ目は、文系、理系の枠組みを超える人材の育成ということです。 イノベーションに関して、故ドラッカー教授の言葉を忘れてはなりません。「売り上げを伸ばし、雇用をもたらすのは技術と思われている。だが、技術は可能性を教えるに過ぎない。可能性を顕在化させるものはマーケティングである」という言葉です。断絶の時代を読んだ人は多いと思いますが・・・ 以前、セミナーに用いたスライドですので、見にくくて申しわけありません。講義をするつもりはないので聞き流して欲しいのですが、研究と開発は別物と考えた方が良いのです。 商品開発はマーケティングの一部です。世の中のニーズを読み取り、問題解決を図り、或いは、想定セグメントの顧客のニーズを満足させるために、どんな商品を開発すればいいのかが課題です。 イノベーションの最初の段階では、確実なものが何もありません。ニーズが本当にあるかどうかも不確実です。ニーズを満足させる商品が開発できるかどうかも不確実です。最大の不確実性は、莫大な費用を掛けて開発した商品が売れるかどうかです。リスクの塊です。 わかりやすい例を挙げます。 ソニーの故盛田氏は、ウォークマンの開発で苦労したのが、性能の良い小型スピーカー(ヘッドフォン)の開発だったと述べていました。室内で聴くステレオという概念を壊した画期的な商品でした。楽しさを何時でも何処でも、という夢と「これはヒット商品になる」という直観が働いたと思います。 経営者ですから、当然そろばんははじきます。開発に大きな投資をしても、似たアイディアを持つ競合他社が先行してマーケットを抑えてしまうかもしれません。アイディアが生まれた時点から、時間との競争になります。 当然、上手く行ったら投資リターンがどのくらいになるか、事業化してマーケットを席巻す るには、どんな広告宣伝をやればいいか、価格はいくらにすればいいか。 技術の見通しを持つために予備的な開発はやっていますが、本格開発前にあらゆることを分析します。ここには、ステップ by ステップという思考はありません。盛田氏の秀でた見識(その時点で持つ知識と経験)と直観的な見通しから、一気に事業成功時の財務計算に飛びます。これが、俯瞰です。そして、その目標を達成するために開発から宣伝まで逆向きに考えます。この逆向きの思考は、ステップ by ステップの思考と逆向きということです。逆向き思考は、後ほどもう一度触れますが、その前に、同じ夢を持ったのが一社員の場合、どうなるか想像してください。 イノベーションの最大の敵、人と組織の壁が立ちはだかります。人と組織は基本的に保守的です。先行きの不透明な新しい試みに不安を抱くのです。一介の社員の場合、予備的開発すらできないかもしれません。アイディアの段階で1,000万円も2,000万円もの市場調査費用など承認されません。自分で時間を工面してあらゆる情報を得ようとします。 しかし、そのような提案書がすんなり通ることはほとんどありません。これが、実態です。 盛田氏の地位にいなくとも、自分で調査分析して人と組織の壁を破る強い社員を育てなければならない。 日本のイノベーションを活性化しようと思うなら、人材育成はここに焦点を当てなければならないと思います。 人と組織の壁の原因の一つが、ステップ by ステップの考え方にある例を挙げます。 マイルストーンという言葉を聞いたことがあると思います。元々、NASAの宇宙探検ロケット開発工程をステップごとに目標を立てて進めるやり方のことです。道標です。 それを、経営学者がイノベーションに当てはめました。元々は、ハーバード大の(二流?の)研究者が云い始めたものです。 組織名称が変わりましたが、中小企業総合事業団のビジネス・プラン作成オンライン・スクールにあったものを引用します。 オンライン・スクールがなくなったのは、2003年と記憶しています。2002年に、中小企業庁宛に、「わが国の技術評価の課題」と題した意見書を送った直後でした。意見書に、このスッテプ思考は拙いとも指摘しました。 ステップ1の製品コンセプトの確立については、後述しますが、ステップ9に損益分岐点があります。 1)生産して販売してから損益分岐点をみるのですか? 損益分岐点を予め見極めて、そこを如何に速やかに超すマーケティング戦略を実行しなければならないのです。当たり前でしょう? 2)ステップ8ですが、先行販売してから競合他社への対応を行うのですか? 開発中から、競合他社の動きを徹底的に調査して、事前に競合を封じるために特許戦略を含む技術戦略とマーケティング戦略を立てるのです。ロックイン(競合他社締め出し)などは特許でも流通戦略でもできます。知恵の限りを尽くします。 3)経営学書で、価格をいつ決めるのか書いているのを見たことがありません。何時、どうやって決めるのですか? イノベーションを成功させるには、製品コンセプトを決める前に価格帯を決めます。 価格と売上数量がわかれば、製造コストに関連する仕様(スペック)も決まるし、採算性もわかります。しかし、購入者の価格に対する反応は事前にはわかりません。売上数量もわかりません。これらは、すべて予測です。価格を決めたら、後はどうやって売上を伸ばすかだけに懸かります。それが、マーケティングです。製品開発をマーケティングの一部と捉える必要があるのですが、マイルストーンが一般的なってしまったので難しいのです。ハーバードの研究者に文句を云いたくなります。迷惑な話です。 これらの問題点を明らかにする格好の例があります。 1997年に発売したプリウスの価格は215万円でした。損益分岐点をどこに置いたのか、トヨタ関係者に尋ねたことがありました。
詳細は省きますが、損益分岐点を超えたのは2001年12月でした。月産3,000台。1997年の発売以後4年間の累積生産台数が、75,000台。僅か1年半の短い開発期間を補うために3年間を国内販売のみに留めて、欠陥の洗い出しと対策を膨大な人員を掛けて洗い出しました。満を持した海外販売は4年目からでした。 世界に技術のトヨタを知らしめ、利益性の高いレクサスの拡販を狙った見事の価格設定でした。 マイルストーン計画などでやっていれば、1年半で開発などできません。 目標設定をマーケティングに主眼を置いたからこその成功です。 イノベーションを推進する際、技術特許があれば、特許は20年間しか有効じゃないので、開発から商業化までの期間が短ければ短いほど有利になります。競合企業や競合商品はありますから、時間との勝負になります。時間を短縮するのは、こうなるに違いないという予測による決断スピードです。 予測には、見識に基づく直感、全体を俯瞰して本質を見抜く能力が絶対に必要です。 調査結果自体も正しいかどうかわからない詳細なマーケット調査をして、それから開発を始める。そして、関係者が全員で検討して事業化投資決定というステップ by ステップでは、徒に時間が掛って折角取得した特許も役に立たなくなります。 日本のイノベーションの停滞は、このステップ by ステップの思考と合議制決断文化に大きな関係があります。 直観は正しいから、俯瞰は正しいから、何十億円もの投資を認めてくださいと云ってもOKする人などいません。自分の見方が正しいかどうか自分自身が疑って、あらゆる角度から検討します。それが、本来の批判的思考と呼ばれるものです。 教育改革のブレーンである有名大学の教授の資料に「事実を基にした批判的思考力を養う」とあります。繰り返しになりますが、イノベーションの初めの段階に万人が認める事実などありません。あくまでも予測です。 数学者も含めて、物理であろうが化学であろうが優れた科学者は、鋭い直観力と俯瞰力の持ち主です。 しかし、彼らはビジネス、特にマーケティングとは遠い存在です。

5.全員、理系頭になったのか?

イノベーション人材は理系という思い込みがありますが、実は、イノベーション人材としては、文系、特に集団心理などを学んだ人の方が良いというのが長年の経験からの結論です。イノベーションで最も難しい購買者の行動様式がわかるからです。 技術は定性的に覚えて技術者を使えばいいだけです。 ステップ by ステップの理系思考から抜け出し、文系軽視の風潮を変えなければならないのです。 買う人から見たら・・・がカギなのです。 そこで、ステップ1「製品コンセプトの確立」の問題点を指摘します。 コンセプトはあくまでも概念に過ぎません。商品開発は、概念でなく目的です。 ブレーンストーミング(ブレスト)をやればいいアイディアが生まれるという神話みたいなものがあります。製造現場の品質管理や生産性を上げるテーマなどでは、ブレストが有効です。参加者が、現場作業者なら常日頃、現実を踏まえた改善策を考えている人も多いですから。 しかし、誰もやったことがない新技術を現実的で突き抜けるような商品開発アイディアなど期待するのは極めて難しいのです。 マーケットの実態、消費者のニーズ、ニーズの掘り起こし、技術の持つ可能性等々を高いレベルで分析した人、してない人との差がありすぎるからです。 企業ミッション(mission statement)などに使われる思考の流れは、こういうものです。
信念は、企業の全社員が疑いなく信じる、例えば、「企業は社会のための存在」というようなものです。原則は、コンプライアンスなど。概念というのは、例えば、「全社員が健全な社会生活を維持する」というようなものです。目的は、例えば、目標純利益などです。その達成のために戦略と行動方針が決まります。下位段階になればなるほど意見の相違が出るのが普通です。下手すると組織内の対立にもなります。対立になった時には、妥協でなく合意した上位段階に遡ってより高いレベルの考えで対立を避けようという物の考え方です。 ところが、論議しているのはイノベーションです。 目的はマーケットへの浸透力です。マーケットシェア競争です。製品コンセプトは、マーケットと直結しています。曖昧さをできる限り排除して、具体的でなければなりません。
そして、行動からコンセプトまで一貫していなければなりません基点はあくまでもマーケットです。 逆向き思考の必要性を詳細に述べたサイトを公開しました。2002年のことです。ご参考になれば幸いですが、読まなくてもいいです。
http://watanabe.chalaza.net/preparation-3/index.html 問題は、算数不安から進路を文系にする人たちには、技術がわからないと思い込む人が多いのです。それは、算数不安症 → 算数忌避 → 技術忌避という流れです。 この流れを止める。算数不安解消プロジェクトの本来の目的は、ここにあります。 技術を定性的に理解するだけでいいのですが、“科学技術は定量的なもの、きっちり答えを出さなければならないもの”という文化があります。米国だけのことではありません。いわゆる、理系思考優位の考え方です。 定量的に処理できる技術者はいますから、彼らに協力してもらえばいいだけです。そのためには、技術の意味する本質と概要を知らなければならないので、技術忌避は困ります。 技術は論理ですから、論理的な頭で技術を定性的に知ることは難しいことではありません。 論理的な思考を持つには、小学生レベルの算数が、実に便利です。 前述で指摘したように、小学生の算数には、答えがあります。絶対解があります。“数の関係”は、答えのある論理です。答えを見出す論理を自ら掘り起こすことができます。その意味で、算数は特別です。 同時に、絶対解があるから、逆に、問題もあります
小学校から成績は抜群だった。テストの時何気なくクラスメイトに言った。「授業で習ったのに勉強するの?」「どうして100点取れないの?」 中野氏が思ったことを口にすると誰も相手にしてくれなくなった。コンプレックスに苛まれ、人付き合いの上手なクラスの人気者がただただ妬ましい。少女時代の中野氏は、人には言えないネガティブな感情に支配されていた。 「もうちょっと楽に生きたい」脳科学者:中野信子氏が見せる“変人”の生きる道 https://enrique5581.net/nakano-nobuko-rain-science/
「買わなくても、図書館などで借りるでいいので、これはお願いだから、頼むから読んで、、、」と呼びかける脳科学者中野信子氏。正義中毒の話をするつもりはありません。 右の欄の「授業で習ったのに勉強するの?」「どうして100点取れないの?」というのが60年前にワープしました。 高校時代、増進会というところの通信添削を3か月ほどやりました。「東大に行くやつは、この難しい数学で70点以上取るのか」と感心したのを思い出したからです。 中野氏も東大工学部応用化学です。優秀な理系頭と思います。 口にするかどうかは人によると思いますが、できる人は、他の子が、何故できないのかわからない。現役ですんなり通った人なら猶更です。そして、それは自然なことです。批判ではありません。しかし、意識下では、できない子はできる子から卑下されていると感じます。コンプレックスになります。傷ついたのは、中野氏だけではありません。どっちも傷つきます。 算数は絶対解があるから、できない子のコンプレックスはますます深くなるという点が問題なのです。 IQの高さと算数はほとんど関係がない。どれだけ“数に慣れ親しむか”の差というのが、最新の脳科学研究結果です。 算数不安退治がどれほど重要かというのがわかりましたでしょうか、町山さん? 加えて、やっぱり日本は理系頭優位文化の国なのだと考えさせるものがあります。 「イノベーション25」の直後2007年1月に経団連から“希望の国、日本”というのがあります。経済界の人材育成将来設計とでも呼ぶべきものが公開され、3月には、“博士課程における教育、人材育成の充実のための施策” という意見書が出されました。人材育成のゴール設定です。肝心部分を引用します。
大学は、アカデミアだけでなく、企業を含む多様なキャリアパスを前提とした研究・教育カリキュラムを提供する。博士には、社会の変化するニーズに柔軟に対応したフロントランナー型の研究テーマの設定、遂行ができる能力が期待される。そのためには、学生が、研究室での狭い分野の研究にのみ閉じこもるのではなく、高度な専門分野(複数が望ましい)の知識とともに、幅広い基礎学力(英語、数学、物理、化学等)をも確実に身につけることができるよう指導・支援する。同時に、PBL(現実の社会の課題を取り扱う問題設定解決型学習法:Problem Based Learning)や産学の共同研究を活用して実践的な能力(課題発見能力、コミュニケーション能力等)を伸ばす。こうした教育を大学で行うことにより、入口(サイエンス)から出口(製品・サービス)までの全体のバリューチェーンのイメージを俯瞰しながら、企業において研究・開発をリードできる人材となっていくことが期待される。』 どう読んでも理系中心です。この望ましい大学生のゴール設定が、初等教育の指導要領に反映されているのです。2012年の教育改革にはっきりと明示されています。 経団連の“希望の国日本”の人材育成ゴール設定が2007年でした。10年後の2017年には、日本は、こうなっているはずでした。
今は、2021年12月。私たちの目にはつかない進展はあると思いますが、少なくとも「理工系のみならず、法律や金融などの分野においても、国際的に魅力を持つ知の拠点として人材育成力を高めている」ということになっていません。日本の最高峰東京大学の世界ランキングの順位が停滞している事実。さらに、スイスの研究機関による世界のビジネススクールの評価では、日本の大学はまったく評価されていません。アジアではシンガポールと中国の大学の評価が高いだけです。」 なるほど。そういう流れなのか。直観力全体俯瞰という問題と学力テスト、理系思考の関係をもう少し知りたいのが・・・ 「わかりました。疑問に思うものを三例挙げます。 第1例 小学4年生の算数B問題に、「港博物館見学」というのがありました。これも、冷蔵庫に劣らず、長い文章問題です。集合時間に間に合うようにバスに乗る時間の質問、博物館で暦年の入港船数を棒グラフから読み取る質問。そして、お土産を買う値段の質問という日常文脈問題です。 お小遣いが500円です。四種類のお土産があって、値段の一番高いのがハンカチの350円。一番安いのが消しゴムの200円。 ハンカチを買ったら、他のお土産が買えない理由を述べなさいという質問です。 正答の条件が三つあります。 ① ハンカチを買ったときの残金や、ハンカチともう1種類の品物を買ったときの合計金額を書く。 ② 消しゴム(最も安い品物)を買う場合について調べる説明を書く。 ③ 数値の大小比較を書く。 正答例は、「ハンカチを買うと500ー350=150で、使える金額の残りは150円です。残りの3種類の品物の中で一番安い消しゴムは200円で、150円よりも高い。だから、ハンカチを買うと、もう1種類の品物を買えない」です。 (理系思考の典型のように思います・・・) この三条件を満たした答えが15.6%。完ぺきではないが近いものが、18.2%で、合計33.8%の正答率です。問題は、誤答という評価です。 「ハンカチを買うと500ー350=150になります。そうするとほかの物が買えません」は、ほかの品物の記述がなく、大小比較の記述もないということで。 「ハンカチは350円なので、残りのお金では一番安い消しゴムも買えないから」も。「ハンカチを買うとどれも500円をすぎちゃうから」も。 「お金が足りない」も。 無回答は、僅か、9.1%ですから、正答率と併せて42.9%。 50数%の生徒は、必ずしもとは云えないのです。 をもらった子は、自分が間違っているとは思わないでしょう。でもなのです。 算数不安どころか、算数恐怖症になりませんか? 第2例 令和元年ですから2019年の学力テスト問題に遊園地のゴンドラの待ち時間を求める問題がありました。 https://www.nier.go.jp/19chousakekkahoukoku/report/data/19pmath.pdf 「9÷3=3で、1ポール分には3分間かかります。残り7ポール分なので、3×7=21で、21分間かかります」が正答で、正答率も62.8%と高い結果でした。

(横浜みなとみらい公式サイトより)
私がこの設問のゴンドラを見て、真っ先に頭に浮かんだのは、「子どもたちの中には、楽しかった“みなとみらい”を思い起こして集中を失う子もいるだろう」ということでした。 視覚の長期記憶が過去を思い起させるのは、脳科学研究に頼らずともわかることです。特に、楽しかったとか悲しかったという強い感情を伴うものならなおさらです。私の勝手な言い分でないことを確認してください。 「What Is A Visual Memory And How Does It Affect Us?」(Updated February 04, 2021) https://www.betterhelp.com/advice/memory/what-is-a-visual-memory-and-how-does-it-affect-us/ さらに、長期記憶は、短期記憶の18.30秒間に比べて、ほとんど期限なしに記憶して、刺激によって容易に引き出されます。4年生は10歳です。たとえ幼稚園の頃であっても、楽しかった思い出は昨日のように新鮮です。 「LONG-TERM MEMORY」(Last updated on November 25, 2020) https://human-memory.net/long-term-memory/ 視覚効果のメリットを考えます。摂氏と華氏の変換式を記憶していますか? この原稿を書いていた12月16日の天気予報を見て驚きました。華氏、マイル、インチ表示。華氏を正式に採用しているのは、米国、リベリア、ケイマン諸島です。 温度計は、かなり前に算数不安解消のために作成したので、天気予報を貼り付けました。 摂氏と華氏の転換公式は忘れやすいです。 しかし、温度計の摂氏10度と摂氏50度に引いた線と摂氏0度と華氏32度に引いた線なら記憶できます。 華氏50度から32度を引いた18も摂氏10度から0度を引いた10も記憶できます。18と10は9対5という比もわかります。 変換公式を記憶するのでなく、視覚を通して論理を覚える。ど忘れした公式を思い出すことが可能かもしれません。 私自身、ゴンドラ待ち時間のテストの意図は、十分に理解しているつもりです。 評価指導にも、この文言があります。 「日常生活において、場面の状況に応じて、物事を判断したり、解決過程や結果を振り返り、判断したことをより適したものに改善したりすることができるようにすることが重要である。その際、場面の状況を解釈し、数量の関係に着目して筋道を立てて考え、数学的に表現・処理し、得られた結果から判断することができるようにすることが大切である。日常生活の事象を数学的に表現・処理するという点では、前掲の冷蔵庫のケースも全く同じ構図です。 ただ、観覧車に関して云えば、日常生活では、「どのくらい待ちますか?」と係員に尋ねるのが普通と思いますが、それは、それとして、長期記憶を刺激して集中力を失わせるかもしれないと考えたかどうかという点が気に懸かるのです。 出題に大変な苦労をされているのはわかります。しかし、育成対象は子どもです。子どもの物の見方、関心、意欲などの個人差を考慮した設問にしなければ、算数嫌いの子を増やすことになります。配慮をお願いしたいところです。 第3例 6年生対象ですが、階段のわきの壁に貼る平行四辺形のポスターの横の長さを測るテスト問題があります。
1 平行四辺形は、2つの対角線の長さが等しいから。 2 平行四辺形は、4つの辺の長さが等しいから。 3 平行四辺形は、向かい合っている辺の長さが等しいから。 4 平行四辺形は、向かい合っている角の大きさが等しいから。 5 平行四辺形は、向かい合っている辺が平行だから。
設問は、「四角形オカキクは、平行四辺形とみることができます。そこで、ゆうじさんは、点オから点クまでの長さを知るためには、点カから点キまでの長さをはかればよいと考えました。このように考えたわけとして正しいものを、下の1から5までの中から1つ選んで、その番号を書きましょう」とあって、上の図の右に示した5つの内から選ぶ問題です。 正答は、で、にした19.9%の子が誤答になってしまいました。 (出題者が、しまったと思ったかどうかわかりませんが)誤答とした理由が、「平行四辺形の定義を選択しているものであり、問題解決の根拠として適切な図形の性質を選択できていないものである。平行四辺形のイメージから、「2辺の平行であること」と「2辺の長さが等しいこと」を同義としてとらえている児童もいると考えられる」と分析しています。 平行四辺形は、次のような性質を持つ。(ウィキペディア) ● 対辺の長さが等しい(対辺は2組あるが、いずれもこの性質を満たす)。 ● 対角の大きさが等しい(対角は2組あるが、いずれもこの性質を満たす)。 ● 対角線が他の対角線の中点を通る(対角線は2本あるが、いずれもこの性質を満たす)。 同義ととらえるも何も、19.9%の子は平行四辺形の性質を知っているのです。選択肢にを入れたのは、うっかり間違いじゃないかと思います。 こんなところですが、どう思いますか?」 学力テストの問題を5つみたわけだが、ハンカチの採点にはびっくりした。ということは、算数不安には、学力テスト問題そのものや採点の仕方も関係しているということになるのかな。時間制限のプレッシャーや先生の算数不安伝播以外に・・・ 云われてみると、出題も評価も理系思考という気がする。なるほどな.。米国や英国の算数不安解消対策に、このような見方はあるのか? 「私の知る限りですが、ありません。忙しい研究者たちですから、学力テスト問題や評価を調べるような時間はないと思います。日本でも、偉い先生方やお役人、或いは、教育に熱心な国会議員の先生方も、学力テストの内容までは見ないと思いますけど。」 文科省も子どもたちのために一所懸命にやっているのもよくわかったのだが、どうすればいいのかな。 「シリーズ3の31ページに、文教大学の白石教授を紹介して、2進数を教えればお悩みひとつ解決と述べました。しかし、論文自体には触れませんでした。今回、視覚タイプ、言語タイプという話になりましたので、教授の論文を検討したいと思います。 教授は、「現在の数学の学ばれ方は、自ら考えることより与えられたものを覚えるという方向にいってしまっている。考えないのは、ギャップがありすぎて思いつきようがないというのもひとつの理由であろう。学習の過程での練習問題が次のステップのための素地になるようなカリキュラムを作る必要がある」とおっしゃっています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mesj/44/3-4/44_27/_pdf/-char/en 与えられたものを覚えるというのは公式のことなら、その通りです。教授が、「数学教育改革の基本原則」として、以下のような提言をしています。 ① 生徒自身の力で発展させうる流れとする。 ② 現実の問題から数学的構造を抽出し、現実の問題を解決することを目的に理論を作る。 ③ 生徒自身の手で知識を増やしていく。 ④ 学習内容を標準化する。 ⑤ 学習内容を集約する。 ⑥ 一般から特殊へ。 早稲田とヤフー知恵袋の数列問題で町山さんがやったのは、生徒自身の力で発展させる流れ、そのものです。 しかし、学校の先生が「じっくり眺めろ、パターンを見つけろ」と見つけるまで待つわけにもいかないでしょう。いい例がもうひとつあります。 中3対象の素因数分解YouTube講座を見ました。
「243の合計が3の倍数の9だから割り切れるからね」と云って、右のように割り算して、答えをボードに書きました。どうして合計が3の倍数なら3で割り切れるのか説明は一切ありません。聞いたことがない話なので、どうしてそうなるのか知りたいと思いました。最初に九々表を作って、眺めました。一桁が3の倍数かどうかは直ぐわかりますから、二桁の数字を抜き書きしました。
抜き書きを見ると、数字を逆にしたものも3の倍数になるのがわかりました。 三桁の数字を入れ替えてもそうなります。 しかし、これではどういう仕組みなのかわからないので、別の表を作成しました。 パターンがはっきりわかります。 10以降は、一位と二位の数を足したのが黒字です。90の欄の=15は、697887の次が96ということになる。二桁の最大値は99。足すと18になる。そして、三桁になると、足した数が、10の場合と同じになる。 110になったら足した数は2。111は3だから、20の欄と同じになる。120なら30の欄と同じ。三桁の最大値は999だから、足すと27。四桁は9999だから、足すと36。黒のゴシック体はすべて3の倍数。ここまでで、「合計が3の倍数なら3で割れる」のはわかりました。3の倍数が二つおきに循環する。合計は10進数の組み合わせになるので位に関係なく足せば、3の倍数になる仕組みです。 ところが、これを文章で説明しなさい。証明しなさいとなると、それほど容易ではありません。私が文章で説明しようとすると、これが限度です。 自分でやってみたから云えることですが、子どもたちが、自分で確かめなさいと云われたら、私と同じように九々算表と抜き書きを作ると思います。そして、243の並びを432、324に変えて試そうとするでしょう。先生の云っているのが本当かなと・・・。そして、説明のヒントを与えれば、私と同じように3、6、9になる数の組み合わせも知ることになると思います。 その結果、数の性質、ゼロの性質、組み合わせのパターン、大きな数と倍数の関係等々の知識に深みと厚みが出ることになります。 こういうやり方が、白石教授の「原則① 生徒自身の力で発展させうる流れとする」、或いは、「原則③ 生徒自身の手で知識を増やしていく」ということじゃないでしょうか。 絵人間の話をもう少しします。視覚タイプを考慮した点があるかという疑問です。 「計算力は重要である。しかし、計算力以外にも不可欠な基礎技能がある。そのひとつは、論理である。特に、変数を含む命題の概念を習得し、それら相互の関係、すなわち、必要条件、十分条件などの関係を意識して議論すること、技能として命題の同値変形を使うこと、十分条件や必要条件を求めていくことなどが要求される。それを学習するための題材は、解析幾何や、代数方程式の解法である。現在の数学Aの論理に関する領域のように論理のみを単独で学習するのでは十分にその力を伸ばすことはできないし、自身で理解の誤りに気づいて修正していくような学習もできない」とも云います。 「計算力以外にも不可欠な基礎技能」というのは、観察力と“数の関係”のパターン認識力のことではないでしょうか。論理は、その後です。数の関係はパターンなので、その辺りを軽視している傾向があるような気がします。 公式を覚えれば計算力が高いという評価を受けることになりますが、観察力と“数の関係”のパターン認識力とは直接関係はありません。回路図の話を思い出してください。ですから、九々表や数列のパターンをじっくり見て気付くことが大前提になります。 一時期、一緒に仕事をした息子と同年代の友人と久しぶりにコーヒー飲みました。近くに喫茶店などないのでマックでしたが。 「君、算数不安じゃなかったか?」 「不安も何も、全然できなかったですからね。」 「でも、九々やっただろう。この前、高校生に、7×8は7を8回足すと習った?と尋ねると、えっという反応するんだ。」 「九々ね〜。な〜んも考えないで繰り返した。みんな、そうだったと思うな〜。」 な〜んも考えないでというのが妙に生々しく聞こえました。考えてみれば、自分も同じだったかもしれません。デハーネ博士の論文に九々の話もあります。大事な話です。 実際の話として、九々を覚えられない大人は10人に一人いると云います。その上で、博士は、「脳には数の大小を識別する数直線はあっても、元々、掛け算のアルゴリズムはない所為じゃないだろうか。文化を超えて世界中が九々のような暗記方法を考案したのは、その解決策ではないか。脳は数字が密接に、しかも、直接的に交錯する九々のようなものを記憶するまで進化していない。それに対して、長期記憶は、連想(繋がり)とストーリーから引き出される。つまり、何かの出来事が合図になって、内容と関連する記憶を呼び起こす」という指摘です。 https://www.unicog.org/publications/Dehaene_PrecisNumberSense.pdf 摂氏と華氏の話も、連想(繋がり)の話ですが、これまでの「母子対話」シリーズで、“セットで覚える”ことを強調してきました。例えば、このような足し算、掛け算、指数という“セット”です。
分数、比、割合をストーリーで統合して教えなければならないという指摘(シリーズ1)もそういうことです。 子どもの算数不安問題が社会正義の話として、英国のNPOも取り組んでいますが、私たちのように、父兄の算数不安を取り除くという具体的なプログラムを持っているところはありません。 デハーネ論文は、私たちの心の底にある“数学天才神話論”についても考え直す勇気を与えてくれます。アインスタインと並べて天才と呼ばれるインドのラマヌジャンという数学者がいました。極めて直感的、天才的な閃きにより「インドの魔術師」の異名を取った人です。ラマヌジャンの逸話を紹介する部分を翻訳しました。論文の14ページです。 結核を患い、余命が幾ばくもないインドの数学者ラマヌジャンの療養所に同僚のハーディがお見舞いに来た時の逸話です。何と声を掛けたら良いのか迷ったハーディは、「乗ってきたタクシーの番号が1729だった。冴えない番号だよな」と云うと、ラマヌジャンはすかさず、「何とまあ、素敵な番号じゃないか。2つの数の3乗の合計になる最小の数だよ。組み合わせが二つある!」と答えたというのです。 1729は、実際に、10の3乗+9の3乗、及び、12の3乗+1の3乗です。 重い病にあるラマヌジャンが、ほんの数秒でこんな複雑な計算をしたというと、天才は別人種とみる傾向があります。天才を人種とみるよりも、この説明の方がはるかに納得できます。 何十年にもわたって数に取り組んできたラマヌジャンは、小さな整数の3乗がいくつになるか暗記していたのは明白だったということです。 10の3乗が1000です。誰でもわかります。12の3乗が1728というのは、1立方フィートが、1728立方インチですから、これも彼はわかっていたはずです。9の3乗が729というのは10の3乗や12の3乗のようにはなりませんが、計算自体は簡単です。ですから、ラマヌジャンは1729が、彼がある数の3乗と記憶している1728と一つ違いということにぴんとくるわけです。したがって、1728+1と1000+729という二つが直ぐに出てきたということでしょう。 1729が最小の数であることを証明するのはより難しいですが、試行錯誤によって検証することができます。実は、ラマヌジャンが思春期の頃のノートが見つかりました。1991年のことです。つまり、ラマヌジャンは病床にあるず〜っと以前に3乗の計算を知っていたのです! 一瞬のうちにわかるから天才の頭脳構造は別物というこのような逸話は多いのですが、脳のアルゴリズムの研究が進めば、天才が常人と異なるという神話はくつがえると思います。つまり、天才と呼ばれる人も普通の人も脳の構造に差はないので、数に対する訓練の量が違うだけで通常の人間の能力の範囲内にあるとなれば、数学に対するコンプレックスはなくなるのではないだろうか。 この他にも、IQ50の自閉症の子が素晴らしい計算能力を発揮した実例研究も紹介されています。つまり、どの子もやり方次第で数を恐れなくなるという話です。 白石教授の「原則② 現実の問題から数学的構造を抽出し、現実の問題を解決することを目的に理論を作る」という点について、「3の倍数なら3で割り切れるからね」を、もう少し考えます。 素因数分解の問題ですから、その他の素数があります。素数は、2、3、5、7、11、13、17、19、23・・・。 一桁や二桁の素因数分解なら掛け算ができれば比較的楽と思いますが、三桁、四桁になると簡単とは云えません。 ネットには、素因数分解指導サイトがたくさんあります。その中の一つに、現役で京都大学工学部にトップ合格した坂口秀さんの「テラコヤプラス」というのがあります。現在、大学で情報工学を専攻しながら、オンライン京大家庭教師KYOBITの講師を務めている方です。指導はすばらしいものです。 https://terakoya.ameba.jp/a000001447/ そこに、素因数をみつける方法があります。四桁の4301を例にとって説明をしています。7と11について、特別の助言があります。 (4桁以上の数字の場合に限って)一の位から3桁ずつに分け、分けた3桁の数字を順に足し引きしたものが7の倍数だと7で割り切れる(※「1001」が7の倍数であることからこの判定法が出てきます) 各位の数字を順に足し引きして11の倍数になれば11で割り切れる https://terakoya.ameba.jp/a000001447/ 坂口さんの対象は、現役の生徒です。自分の算数不安を取り除こうとする大人としては、もう少し、ダイナミックに数字を捉えて計算力を上げる方法を考えます。
「合計が3の倍数なら割り切れる」、「3桁ずつに分けて・・・」は耳からの記憶です。忘れたら途方にくれます。それに対して、きりの良い10単位、100単位の数で掛け算して、足し算と引き算で4301に迫る。4301の構造を解き明かす大人の知恵。ダイナミズム。 11には、茶数字がありませんから、素数11で割れるということです。13から23もダイナミックに、
11、17、23はカッコ内の掛け算だけです。茶色の数字がありません。したがって、11×17×23が4301の素因数分解の答えです。 大人の今なら直ぐにわかります。算数不安、さよ〜ならです。 頭の柔らかな子なら暗算で可能と思います。 しかし、「な〜んも考えないで」ではできません。 算数の苦手な子にこそ、この方法なら素因数分解の理解を深めることができます。計算力も上がるのは当然です。 勝手にこう云っているわけではありません。このようなアプローチは学術的にも薦められていると云っても良いと思います。 2017年4月8日に公開された「未来社会のために算数教育が準備しなければならないこと」という論文があります。 「What Mathematics Education May Prepare Students for the Society of the Future?」(Published: 08 April 2017) https://link.springer.com/article/10.1007/s10763-017-9814-6 既に、大抵の計算はコンピュータがやってくれます。 しかし、「な〜んも考えないでも」コンピュータがやってくれるでは済まない時代になりました。コンピュータに計算させるモデルを作るのは人ですが、あなたではありません。あなたは、モデルを作る人の世の中を見る目を知りません。 したがって、あなたがするのは、コンピュータが計算した結果が正しいかどうかを見極めることです。この重要性は、英国の算数不安に取り組むNPOも強調しています。 長い論文ですが、コンピュータに計算させた結果のチェックに関するところだけを日本語訳にしましたのでお読みいただきたいと思います。 ある問題解決のために行ったはずのコンピュータ計算の結果が、解決しようとする問題の文脈に即したものか、或いは、計算モデルの文脈の組み立てで解決できるものかどうかを確かめる必要があるというのが課題になる。 課題のもう一つは、計算結果が数学的に正確かを判断するという問題である。計算結果をそのまま渡した顧客が、自らの手作業で計算結果を確かめるようなことがあってはならないので、計算結果が正しいと簡単にチェックできるようにすることが大事である。 この点は、現在の算数の教え方と深い関係があるというのがわれわれの見解であり、詳細に検討すると、現在教えているものとは異なる種類の算数が必要である。 算数の基礎は、ゼロ、及び、“数の論理”を操作して、“数の関係”を利用した柔軟な推論にある(Gravemeijer、2015年)。 例として78×1261を取り上げる。この掛け算は、12=4×3を利用して、75×1200という掛け算で近似計算できる。1200=4×300、75×4=300なので、300×300にして、90,000。或いは、80×1250として、8×125=1000を利用して、1000×100=100,000という具合に。 (78×1261は98,358なので、90,000、或いは、100,000が近似値というわけですが、それがわかればいいではないかという考え方ですー筆者注) 数の関係を利用することがカギになるとGravemeijer(2015)は主張する。問題解決者が使い慣れて、すぐに使える“数の関係”を利用すると、この場合は、近似値で良いと確信することができる。 このような理論に従えば、例えば、25、75、125の倍数、或いは、それらの数の少数、分数、百分率などと関係させて、生徒自身が“数の関係”を開発して、必要な場面に応じて使えるようにしなければならないという結論になる。 理想的には、柔軟に関連付けることができる“数の関係のネットワーク”を生徒自身が開発するようになれば、慣れ親しんだ(得意な)“数の関係”ができるので、自信が強まる可能性がある。 “数の関係”を柔軟に使用すれば、交換法則、結合法則、分配法則などをもっと上手く使えるようになって、代数に備えることができることを付け加えておく。 私たちが、多くの具体例を挙げた「論理が同じものを“セットで学ばせる”」という考え方そのものです。

6.がんばる子たちに応えよう大人!

教育現場と一般国民の距離が大きくなりました。 教科書はどんどん難しくなり受験問題も難問になっています。とにかく、生徒は大変です。 先生は、指導要領を終わらせなければなりませんから、説明に時間を掛けられない。公式を憶えさせ如何に速く解答が出るよう指導するしかありません。根が深い問題です 教育者はみな白石教授と同じようなビジョンを持っていると思いますが、この基本図式から、「原則④ 学習内容を標準化する」と「原則⑤ 学習内容を集約する」は、容易ではありません。しかし、集約化と体系化の一つ“セットで覚える”のは、学校に頼らずともやれます。子どもたちの学習能率を上げる大人の工夫は必要です。「母子対話」が目指すものです。 学校には限度がありますから、普通の大人が、頑張っている子どもたちに応えなければならないと思います。大人の役目です。子どもたちは、本当に頑張っているのです。 頑張っているのご自身で確認してください。 東洋経済に、『「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか 100点満点のうち「平均20点」も低い現実」という記事があります。 橘木 俊詔(たちばなき としあき)京都大学名誉教授の寄稿です。 https://toyokeizai.net/articles/-/179582 この記事は、2017年のものですが、反響は大きく、日本の子どもたちの成績が落ちたのは貧困層が増加した所為という批判の声が沸き上がりました。ところが、2019年になって、そうじゃないという反論の記事やソーシャルネットワークの投稿が増えました。 「そうじゃない」という反論は、お茶の水大学が「保護者に対する調査の結果と学力等との関係の専門的な分析に関する調査研究」を発表したからです。橘木名誉教授が基にした同じ成績を分析したものですが、解釈が若干違います。2018年夏の報告書です。
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/07/10/1406896_1.pdf小6、中3とも、また、いずれの教科、問題においても概ね世帯収入が高いほど子供の学力が高い傾向が見られる。ただその関係は、必ずしも収入が多ければ多いほど子供の学力が高くなるという直線的な関係ではない。保護者の最終学歴については、学歴が高いほど子供の学力が高い傾向が見られる」という結果概要です。東洋経済のタイトルとはニュアンスが異なります。報告書の図表2-5を一部加工して引用します。
加工したのは、右のグラフです。第2層(恵まれた家庭の子)の得点を100としたグラフです。満点からの比較と印象がかなり変わります。中3算数Bが以下です。
印象がもっと変わるはずです。 算数AとBは2019年から統合されましたが、調査時点では、Bの方が難しい科目です。 中3の算数Bでは、満点に対して、最もできる層2の平均が57.9%で、60%に届きません。 中3算数Bの最もできる層でも、60点に達していないのです。そこから見ると、層別差は必ずしも大きいとは云えません。 統計については、図書館の例でも述べましたが、統計を取る目的と読み方が最も重要です。 改善点を見つけ、解決策を模索するポジティブ(肯定的)な見方をしなければなりません。否定的な見方だけでは、統計の意味はありません。 繰り返しますが、右側のグラフは、最もできる層2を100とした比較グラフです。小6の算数Aでは、できない層5でも、僅か20%程度劣るだけです。 中3の難しい算数Bでも、第2層と第4層の差は、30%もないのです。 所得の厳しい家庭環境の中で復習や宿題をこなすのは、容易なことではありません。 それは理解できると思います。 現実には、理解できない大人もいるといいます。不登校問題を綿密に調べた方が、おっしゃっていました。しかし、理解してください。 苦しくとも子供の教育にがんばっているお母さんたちがいるのです。頭が下がる思いがしました。そして、子どもたちの逞しさに感謝したくなりました。 そのようなたくましい子供たちに応えるにはどうすればいいかが次の課題です。 次の表は、2019年12月に文部科学省国立教育政策研究所が報告した15歳の子どもたちの国別成績です。算数の成績だけを取り上げました。
https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/03_result.pdf この表を見て、最初に、右に示したレベル4以上を合計しました。さらに、レベル分布カーブを作成しました。低レベル層の比率比較です。
何度も、何度もこのグラフの形を見て考えました。 レベル4以上の比率は、中国とシンガポールが抜きん出ています。日本との差が20〜30%あります。 人口が多い中国なら上位層を伸ばす、いわゆる、英才教育政策もあり得ると思いますが、日本ではできません。 2020年の新生児が84万人の日本では、絶対にしてはなりません。 まずは、中国やシンガポールの分布パターンに近づけなければならない。 そして、日本の子どもたちには希望があると思いました。 お茶の水大学の裕福な家庭の子たちに対して、それほどの差がないということが一つ。 そして二つ目が、この分布グラフに見るレベル1とレベル2の子どもたちの比率が11.5%ということ。シンガポールより4%高いだけです。 そのレベルを上げて、下から押し上げてやる戦略でやれると思います。 米国の27%は絶望的です。米国の収入格差は、世界でもずば抜けています。2018年の統計ではトップ1%が富の76%を占めています。
G7で見る限り日本の状態は、未だ良いという気もしますが、新自由主義経済の中では格差は拡大します。所得格差の大きい日本など、恥以外の何物でもありません。そして、国が潰れます。 下から押し上げる戦略とはこのようなことです。
左は、偏差値でおなじみの正規分布です。 “下から押し上げて”ばらつきの小さい正規分布カーブを右側に持っていくのが、日本の教育戦略でなければならないと思います。
高校や大学の学費を無償にという政治家の声もあります。個人的に無償論に賛成ですが、片手落ちになってはなりません。 算数不安をはじめとして小中学で挫折した子が、行きたくない高校にまで強制的に行くことになるのは、どう考えても拙い。 ワクワクして高校生になる子を育てなければならない。少子高齢化日本が生き残る絶対条件です。 ところが、残念なことに、居眠りする高校生は、日本が一番と云ってもいい。文科省の調査です。
“よくある”と“ときどきある”を足すと、日本と韓国が圧倒的に多い。“よくある”だけだと日本がトップ。 しかも、2009年より2016年がうんと増えている。 2012年の教育改革と関係があるのですか? どなたか、調べた人はいますか? 片手落ちになっては拙いというのは、この二つの疑問に答えるのが先決だからです。 1) 授業が面白ければ居眠りしないでしょう。 2) 授業がわかれば居眠りしないでしょう。 そして、日本と韓国の「居眠り突出」は、算数不安症による自信喪失と合致しているように見えます。 関連性の研究はありませんが、少なくとも日韓米中に関しては合致していると思われます。
関連性を調べた人がいるのか、いないのか・・・ いないなら調べなければならないでしょう。 そのために、学力テストの実態も、指導要領も、文科省や内閣府の教育行政方針も調べました。人材育成ゴール設定も確かめました。 関連性が高いというのが現時点での結論です。 だから、算数不安を解消しなければならない。それをきっかけにして、官民一体になって伝統的理系思考教育を見直す。元気な子に溢れる日本を取り戻したいというのが有志の目指すものになったということです。 算数不安の原因についてはシリーズ1で述べました。しかし、今回の検討で、多数を占める視覚タイプの子どもたちに対する配慮が足りないかもしれないという問題が浮き彫りになりました。 さらに、日常文脈のテスト問題も改善の余地があるかもしれないという点もわかりました。 この点は、きわめて重要な問題なので、最重要課題かもしれません。 そして、根底に流れる問題が、理系重視、文系軽視の社会風潮ということもほぼわかりました。 もう一点、理系重視の変形とも思われる、凝り過ぎた出題が多い可能性という疑問も湧きました。 東京都内私立難関中学の問題ですから、エリート選抜という意味なのかもしれませんが・・・
出題の意図は、青と緑の三角形が相似なので、比率から高さ(距離)を求めるものです。状態を知るダイヤグラムを教える良く考えた出題とは思います。 しかし、ダイヤグラムの対角線が紛らわしいのも事実です。120kmは縦軸で垂直線です。一瞬でみると、道は曲がっているからその分、時間が掛ったのを対角線で示しているのかと錯覚する子もいるでしょう。横軸に時刻がありますから、よく見れば、そうじゃないのはわかりますが、中には、直観的に、もう一台の車が出発するまでの1時間で、先の車が40km走ったのがわかりますから、残りの80kmを時速の比から計算する子もいると思います。
相似形を教えた応用としてダイヤグラムを指導するのはわかります。解答にいくつものアプローチがあることを指導するのも理解します。 ただ、それでなくともプレッシャーが大きいテスト問題は、できるだけシンプルにすべきではないかとも考えます。育成なのか選別なのか・・・

7.みんな善意なのに、方向なぜか狂った

結局、どういう子を育成したいのか、子どもたちに何を求めるかという日本国民全体の課題になると思わせるダイヤグラム出題です。経団連のゴールの見直しということになるのかもしれません。今シリーズ4の最後に、下から押し上げる戦略の必要性を再確認します。 そのために、日本の未来を決定づける政策立案構造を見なければならないと思います。 国家の超エリート、上級試験合格者数の推移を見ます。
毎年、500人程度がトップ官僚への道を進みます。半数以上が東大卒です。 30年間の累積数、約15,000人。彼らが日本の中長期政策を作ります。 官僚以外のエリートと呼ばれるのは、大学教授、医師、弁護士等と思いますが、国立大学の大学教授数は約25,000人。医師数は、20万人以上います。弁護士は2019年3月時点で、約41,000人です。しかし、彼らが政策を作るわけではありません。専門家としての見解を求められる存在です。 結局、超優秀な15,000人の官僚、国民の代表である衆参両院議員710人、そして、経済の原動力である大企業が日本の将来を決める構図です。 反権力志向者にお願いします。産官学の癒着構造と簡単に云わないでください。間違わないでください。企業を無視して、高級官僚と国会議員だけで経済政策など作れません! 政策があろうがなかろうが、経済は動きます。 戦国時代だろうが、封建時代だろうが、経済は民が動かしました。楽市楽座で経済を抑えた大名が天下をとりました。 大企業はもとより、企業ならどこでも優秀な人材を求めています。 官僚は、優秀な人材を生み出す仕組みを作るために知恵を絞っています。 みんな善意です。悪意などありません。 問題は、善意の行為が、必ずしも上手く機能していないということです。 その原因もうっすらと姿を現しました。 超エリートは、超難関最高学府の入学試験を突破しました。超難関上級試験も突破しました。但し、問題がいくら難しくとも基本的に絶対解がある問題です。 日本には、年間100万人の生徒の中で、レベル6以上の子たちが、43,000人います。その子たちも、絶対解のある問題を解けるからこそエリートの道を目指すことができます。加えて、中野信子氏のエピソードで指摘した「何故、他の子が、教科書で習ったことができないのかわからない」子たちです。 彼らは、官僚を含めたエリートを目指すのが普通です。 一方、官僚の出世競争は筆舌に尽くせない激しく厳しいものです。勝ち抜くには、決してミスを犯さない。矢面に立てば足を引っ張られます。批判ではありません。行動様式がそうなるという自然の摂理です。誰であっても、その立場なら同じように行動します。 彼らは、経済を引っ張るのがイノベーションというのは知っています。 イノベーションに絶対解がないのも知っています。 リスクの塊なのも知っています。 さらに、イノベーションが国の経済を作るのも彼らにとって常識です。 バブル経済が弾けた1990年代後半からベンチャービジネス活性化政策に取り組んだのは、そのためです。 ただ、これまでは必ずしも上手く行きませんでした。 その結果、日本の賃金が上がらないのは、政府の政策の所為だという批判の声が高まっています。2000年以後のOECDデータを示すこのようなグラフです。
しかし、このグラフでは日本経済“失われた30年”の本質課題を見逃すので、一方的な批判に留まります。
このグラフは、日本の1970年以降の月額賃金の推移です。バブル崩壊が1991年でした。それまでの賃金上昇は、世界に類のないものでした。 バブル崩壊以後からのグラフ基にした批判は、本質を見逃すことになるというのは、政府は、そうならないように賢明な努力をしてきたからです。
努力のどこに問題があったのか。 それを検討せずに、結果批判だけでは意味がないと思います。 第2次安倍政権のアベノミクス(異次元の金融緩和:2013年)は、ほとんど最後の手段だったと思います。 次回「母子対話」シリーズ5では、人材育成と日本経済の失われた30年の本質課題を取り上げます。 OECDの報告書ですからエリート官僚は、算数不安も知っていると思います。しかし、絶対解はありませんから、動けない。しかし、糸口が見えたら必ず手を打ってきます。 そのために、失われた30年と算数不安解消がどのように繋がっているか、今回の続編として、もう少し詳しく検討します。
シリーズ(4)完