2019年 8月のサロン多摩手箱

2019年8月25日開催

old? boys Beを合言葉に

8月25日(日)。第3回目が開催されました。
今回は野村修平氏の「多摩区の郷土史と戦時中」のお話です。
参加者も定着し独自の雰囲気が醸し出され、
和気あいあいと大いに盛り上がりました。

  • 野村さんは生まれも育ちも川崎市多摩区。そして現在もお住まいになっている。
    本当に色々なことをよくご存じで、誰もが舌をまく博学さ。
    歴史と地理がお好きなことから、研鑽に研鑽を重ね、
    今じゃ、誰もが認める地元のオピニオンリーダー。
    そんな野村さんの深い教養と知識にたっぷりと甘えながら
    私たちは地域史をひもときはじめました。

  • 【野村さんおススメの知っておきたい!身近な地元の歴史】

    ①地元の名前「生田」の由来
    明治6年に上菅生村と五反田村が合併して生田村が生まれた。菅生の「生」と五反田の「田」をとって「生田」に。
    ②「登戸」の由来
    多摩丘陵に上る入口のところから「登戸」と名付けられた。「ト」は処を表す。
    ③二ケ領用水(にかりょうようすい)(農業用水)
    徳川家康の命令で、多摩川の右岸稲毛領と、川崎領の二ケ領を貫流する農業用水路を完成させたもの(全長32キロメートル)。
    ④長者穴横穴古墳群(ちょうじゃあなよこあなこふんぐん)
    枡形山の東口を下る飯室山北側の丘陵先端部にある。墓、人骨、土師器、勾玉などが多数出土。
    ⑤根岸古墳
    多摩消防署の裏手の丘先端部を上がっていくと、欝蒼とした竹林の中に5基の円墳がある。7世紀後半から8世紀にかけて築かれた古墳時代末期の古墳群と考えられる。
    ⑥廣福寺(こうふくじ)
    鎌倉時代の武将、稲毛三郎重成の館跡だったと伝わる。境内の収蔵庫にまつられている木造聖観音立像と木造地蔵菩薩立像は県重要文化財。
    ⑦枡形城跡(ますがたじょうあと)
    稲毛三郎重成の居城。
    ⑧天神社
    このあたり一帯の氏神。
    ⑨戸隠不動尊跡(とがくしふどうそんあと)
    ご本尊は元信州戸隠の戸隠神社の実道院の仏像であった不動明王と二童子像。 平成5年に焼失。現在は石柱がたてられている。
  • 北海道大学のクラーク先生がおっしゃった「boys be ambitious」。 Boy の前にちょこっと old なんて形容詞がついちゃうお年頃だけど、 Ambitious=大志までは抱かなくてもいいけれど、be=行動しよう! そんな趣旨で始まった多摩手箱サロン。

  • 皆さん、真剣に耳を傾けて聞きいっています‥‥。

  • その後、あれよあれよという間に、参加者が増え、宴(?)たけなわに。
    「小沢城跡」の話もとか「戦時中、枡形山は兵舎だった?」‥‥などなど、リクエストが多く、次回も引き続きは「多摩区の歴史と戦時中の話 その②」として、野村修平さんにお話しをお願いすることになりました。