2020年8月9日開催
8月9日(日)。多摩手箱サロン第13回目が開催されました。
今回は津野田京子さんの「人生の句読点、こぼれ話」です。
津野田さんは昨年2月
葬儀会場で生前葬を行いました。
彼女一流の洒落にちょっとしたクレームもあり、
「人生の句読点、」と名を改め、
今までの人生を振り返り、お礼を言いたい、
という思いで、一大イベントを行ったのでした。
そもそも津野田さんといえば、地元のゴッドマザーよろしく
知らない人はいない……ってな感じの有名人。
福祉関係のグループを次から次へと立ち上げ
地域に貢献されてこられました。
普段は自ら喋ることは少なく、人の話をじっくり聞いて下さる
だからこそ津野田さんのことを聞きたい、
という OLD boys のリクエストに応え
「人生の句読点、こぼれ話」として大いに語ってくださいました。
▲遠方からわざわざかけつけてくれた友・同志と(写真左)。
多摩手箱サロンでも有名な郷古さんと。お二人とも地元では皆がリスペクトする人生の達人です(写真右)
※レジュメより……
福島県東白川塙郡出身
5人姉弟の長女、やはりここでもゴッド姉ちゃん。現在は弟3人が健在。
小学校6年で終戦を迎える。勤労奉仕としては出征する人の家庭へ手伝い、草・稲刈り、伐採された木の運搬、縄ないなどを経験。
~配給された白いブラウスを飛行機に狙われやすいからと、緑色に染めた3日後に終戦となった…忘れられない記憶です~
ちょうど学校編成の時代でもあり、女学校に進んだものの満足に勉強はできなかった。
上の学校に進みたくとも下に弟妹がいたから暗黙の裡にあきらめていた。
和裁の道を歩むことに。単身東京へ。いわば丁稚奉公。
住み込みで技術を学びながら働いた。朝食前に仕事をして、ご飯炊きをして掃除をして、夜の 10時まで仕事。3年間は修行のため、実家には帰れない。休みは月に2回。映画に行ったら、おこづかいはすぐなくなってしまった。
お礼奉公をして、また修行。そして結婚。
三男なのにご両親と同居することに。
夫に「仕事はしないでくれ」と言われたが、隠れて和裁の仕事をやっていた。生協との出会いは、田舎で親が作っていたようなものが欲しい、と思っていた矢先だった。
やがて舅が徘徊を始め、介護が必要になった。
体力も時間も消耗し、一人よりもたすけあうほうが良いと判断し「たすけあい多摩」を設立。それを起点に食事サービス、福祉クラブ生協多摩を始めとする数々の福祉グルールの立ち上げに係わる。
70歳で介護が終わり、手作り品の委託販売の店「ぴあハウス津野」を開設、街の悩み相談的存在として訪れる人の話を聞き14年間開業。その間 KSP(べンチ ャー企業を支援するインキュベーター)実習を引き受ける。
▲ぴあハウス津野の頃(今から約10年前)
▲たすけあい多摩の頃(今から約20年前)
現在の住居。グループリビング(自立したシニアの共同生活)。
またここで素晴らしい友人との出会いがあり、年齢に関係なく素晴らしい出会いはある、と実感。
現在は請け負って和裁の仕事をこなし、また教室を開いて教え、俳句を詠み、歌を習い、仲間と麻雀をし、庭の植物を愛で…もっとゆっくり過ごすつもりだったけれど、何かと忙しく…充実した生活を送っている。
福祉のことを考えてきたから、出会いがあった。
認知症について、舅の徘徊には苦労したが、人格を尊重することが大切。
▲津野田さんの活動を彩る数々の印刷物(写真左)。
また地元の情報誌「タウンニュース」に取材されたことも…(写真右)。
▲津野田さんの話に皆聞き入っておりました。家族のこと、戦争のこと、そして生涯のライフワークとなった和裁や福祉との出会い…など。皆さんから質問や感想などをお聞きし、最後には津野田さんからお手製の袋をお土産に頂きました。
9月、10月、11月…と、予定が決まっていきます。
9月は清田進さんによる
「コンピュータ 事始め」を予定していましたが、急遽
山梨産の good なワインが入手できたので、 少し遅めの暑気払いとなりました。
9月13日(日)14:00~ 乞う、お楽しみ‼
※清田さんの「コンピュータ 事始め」は、またいずれ日を改めて行います。