2020年11月8日開催
11月8日(日)に行われた16回目の多摩手箱サロンは、
清田 進氏による「コンピュータ事始め」でした。
多摩手箱サロンのスタートを飾ってくださった清田さん、再登場です。
清田さんはコンピュータの黎明期、
そのパイオニアとして多くのことにかかわってきました。
今や一家に一台。なくてはならない存在。
コンピュータからパーソナルコンピュータ=パソコンへ
その時代の流れを見守ってらっしゃいました。
◀清田 進さん:北方領土の生まれ。現在も北方領土の語り部として全国津々浦々を周り、講演を行っている。(詳細は多摩手箱サロンvol.1をご覧ください)
大学時代よりコンピュータを専攻研究し、卒業後は大学で教鞭をふるう。学生のみならず、有数のコンピュータメーカーのシステムエンジニア育成に貢献。
リタイヤ後、福祉クラブ生協多摩 家事介護w.co 栞の創立に係わり、福祉という全く経験のない分野に飛び込む。現在もベテランヘルパーして活躍している。
▲ 今回のレジュメと、差し入れに頂いたお菓子(美味しかった)
時は昭和40年代。
コンピュータという言葉さえまだ珍しく、一台ン百万円もした…そんな時代です。高度成長期から引き続き、経済は右肩上がりに…懐かしい時代です。
経営問題のシミュレーション、科学技術、事務処理、顧客サービスへと、コンピュータへの注目と期待はめまぐるしいものでした。
その最も顕著なことは経理関係に影響を与えました。給料計算のシステムができたことは画期的なことだったのです。今では当たり前すぎて信じられないようですが、それが今日に続くコンピュータ時代の幕開けでありました。
▲ 振り返ってみると、皆それぞれ過渡期を生きてきた。学校を卒業して、社会人になって働きだした頃、何が流行っていたか、電車は一区間いくらだったか?初任給はいくらだったか?そして仕事の相棒も変わっていった…タイプライター、電気計算機、コピー、ファックス、ワープロ、そしてパソコン…。効率は上がった。手間も省けた。
パソコンは今や必須ツールとなっている。しかし幸いか、そうなる前に現場からリタイヤした。だから、パソコンの使用勝手はそれなり、でいいのだ。
「日本で初めてコンピュータで給料明細の袋を作った」と、清田さんは遠い昔を振り返る。今では当たり前のことだが、何にでも初めがあり、それが成り立つまでには相当なエネルギーが必要とされる。当たり前のことが当たり前でなかったことを知っているから、急進する技術革新にひるまなくてもいい。「アナログの頃も知っているから、今と対比することができるんです。いいか、悪いかもわかるはずです」との清田さんの言葉が印象的だった。
▲ 今回のコロナ禍でテレワーク、リモートなど、ますますコンピュータの出番は増えた。 それに依存する気持ちも比例している。不安がないわけではない。昔を知っている我々としては…。今まで人が肉体を通してやっていたことが、コンピュータを媒介に行われるのだ。きっと前者よりも効率よく失敗も少なく…利益をあげられそうだが、そうなると、我々の肉体の在り方もまた変わってくるだろう(※ここらへんの詳しい状況は楽天ブログ PLUTO からの便り「カメぱっぱ」海底人との闘いをおよみください)。また機会を設けてブレーンストーミングなど、いかがでしょうか…。
▲ 私はポンコツだから…と、清田さんは言う。
彼独特の辛口のジョークとも思えるが、
清田さんは現在のパソコンに一切触れようとはしない。
「コンピュータは十分やったからいいんだ」と、言い、
今は人の手でしか行えない介護の仕事に
生きがいを見つけ、日々、汗をかいている。
ポンコツ老人、万歳、清田さん、万歳!
※12月の多摩手箱サロンは、
未定ですが、早めの忘年会になりそうです。
〜12/9追記〜
12月の多摩手箱サロンは、
町山良行氏による「地元で生まれた富士信仰・丸山教について」に決まりました!
12月13日(日)14:00~ 乞う、お楽しみ‼